拡散希望です ちょっと気になったことを一つ 昨日ボランティアで入ったとこで お弁当を出してくださったんですね ボランティアの方々へってペットボトルのお茶付きで 通常ボランティアは飲み物、お弁当を持参が鉄則です 地元の方々はおもてなししてる場合じゃないんです もっと少しでも早くライフラインが復旧することを一番に考えてください。ボランティアに気を使う必要は一切ありません。もしあるとしたら「ありがとおうね」のお言葉で元気100倍なんですから。そしてボランティアに入られる方もその場合は自分で用意してるから大丈夫です。他に困ってる方へ回してください。ときっぱり言いましょう。これがどうして大事かと言うとせっかく用意してくれたから申し訳ないからと頂くとその方々は次も用意しないといけなくなります。そしてボランティアは自分で用意して行ってもお弁当がでたらどちらかを食べないかもしくは無理して二つ食べるかとなります。用意する側は必ず負担に思ってきます。そしてボランティアに入る側もだんだんとあてにするようになります。 「日本人の心は手弁当」ですよ 現地の方々は自分達のことに時間を使って欲しいです
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8月, 2014の投稿を表示しています
広島の災害
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僕は「何もできなくて…」って言うのが嫌いです。 「何もできなくて」って言うなら「何もする気が起きなくて」の方がまだ理解出来るんです。「何もできない自分がもどかしい」とかならコンビニ行かれた際にお釣りの1円でも寄付されてはどうでしょうか? それも支援に対してアクションを起こされた前向きな行動だと僕は思います。 「何もしたくない」なら寂しいですがそれはそれで仕方ないしボランティアを人に強要するものではありません。実際現地ボランティアの泥だし作業は想像以上に過酷で住民の方々はもう日中は家の中でぐったりされてました。それでも出てきては途方も暮れるような作業をされてます。ただ現地作業は無理をせず自分にあった作業を長期に渡りしてゆくのが良いかと感じました。まずは「何もできなくて」と言うのを辞めて 何もしてないうちは黙っておきましょう。その時間は自分と向き合う時間で大切な時間だと思います
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おおよそ2年くらい前、湯来でお世話になっている方のお父さんが彫られた能面展に出向いた。もともと海田に住んでた頃熊野神社のお祭りで鬼が出ていてその鬼をからかったりして追っかけられたりして怖い思いをした。その頃から鬼や天狗などのお面には興味があった。話は戻ってその能面展で目の当たりにした能面達、それが何とも言えない存在感を放ってるのだ。一つ一つにとてつもないエネルギーを含んでいて作者の魂を感じるそれだった。それを作られた意図は僕にはあまり関係がない。それより今この自分の目の前にある能面が自分に与えてくれる力…表現しにくいものを感じたのである。そしてその中でもダントツ心に響いた一点があった。それを見た瞬間これはいつの日か時が来た時我が工房に置きたいと…その魂を少しでも自分のモノづくりに活かしたいと思った。そして2年越しでやっと我が工房に来たこの能面。それがこの存在感ゆえになかなか位置がきまらない。置いては変え置いては変えしてやっと自分の納得する場所がみつかりました。そこに掛けた瞬間辺りの空気が一変鍛錬に力が入る感覚を覚えた。人が見てどうとかって言うのは自分にはどうだっていい事だ。自分自身が仕事に打ち込めることができる空間がこれまで以上にできたと思っている。これから一生この能面を大事にしてゆきたいと思う。